感謝を大事にして生きる

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人間、手足が動くこと、ご飯が食べれること、寝る家があること、当たり前の生活ができることにどれだけ恵まれているのか?普段生活していると気が付きにくいです。
むしろ、今ある幸せに感謝することなく人生を終える人も少なくないでしょう。
神仏に願いをぶつけるとき
「こんなにも恵みを与えているのに、要求するのか?!」
と、災難を与えられることもよくあると思います。
たまたま、足を骨折してしまった
これは一見不幸に見えるけど
歩けることの有り難みと、しばし休息を取ると良いという啓示を受けていることも
解釈としてはあります。

感謝を強要している訳ではないし、そうしては争いの元になります
感謝する心を持つといいことがありますよ
というお話です

人はひとりでは生きることはできない 人と人の間に生きて人間となる その人その人の仕事や働きに感謝することが大事

感謝することが大事とは言いましたが
感謝だけでは生きていくことはできません
人間社会には経済活動があります
自分ひとりでは、米も自動車もパソコンも家も電気、ガス、水などのインフラ
生活に必要な全てを揃えることは不可能です
人類の数だけ、従事している仕事があり
人間どうし、あるいは、植物や動物、微生物などの生命の働きによって
生きていくことができます
他者の存在によって、生かされています

その人、その人の仕事に感謝して、自分は何がお返しできるのかを考えて
実践することが大事です

僕の人生は、21歳のときに統合失調症と診断され
医療従事者の方々はもちろん、行政の方々や、福祉制度のおかげで
約20年間の長期休息を得ることによって
精神治療を継続して受けることができ、現在、かなりいい状態まで回復することができました

今の自分があるのはみなさんのおかげです

自分の人生の今後の過ごし方は
僕自身が決めることではありますが
やはり、社会の人々のおかげで精神治療がうまくいった以上
その人たちの働きに報いなければならないと感じています

僕に何ができて、どんな手段で社会に報いるかは課題です

まず、自分の生活を福祉に依存しない状態で生計を立てれるように
立て直して、自分を犠牲にすることなく、社会を良くするにはどうすればいいかを
考える責任があると考えています
自分が不幸で、社会を幸せにすることはできないとも考えています

お前こそ感謝すべきだ この感謝すべきという考えは違うし、争いの元になってしまう 感謝はその人の権利

夫婦関係で
「お前はもっと俺に感謝すべきだ」
「あなたこそ私に感謝すべきでは?」
など、相手に感謝を強制すると争いの元になります
感謝は個人の権利です
感謝してもいい、感謝しなくてもいい
感謝するといいことがあるよっ!
という話です

言葉に言霊が宿るように 文字にも言霊が宿る

ペットボトルの水を2つ用意して
「ありがとう」と「ばかやろう」
の文字をマジックで書くと面白いことが起きるようです
「ばかやろう」と書かれたペットボトルの水はやや濁ってしまい
「ありがとう」と書かれたペットボトルの水は澄んだ水に変わるようです

感謝や悪口は
思うより口から発言したほうが効果が強くでます
実践が尊いという話です

この世は倍返しの法則 投げかけたものが返ってくる

投げかけたものが返ってくる
投げかけないものは返ってこない
人間の顔は面白いもので
アウトプットひとつにつき、インプットは2倍です

発言するために使う口はひとつしかないですが
目、耳、鼻の穴は2つあります

古代ギリシア時代から
言った発言に対して、2倍の言葉が返ってくると考えられていました

イエス・キリストも
「投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返ってこない」
「愛すれば愛される。愛さなければ愛されない」
ということを言っていました

全ては倍返しです

感謝すれば感謝されます
でも、感謝を武器や手段にしてはいけないということです

幸と不幸は表裏一体 卵の黄卵と白卵のようなもの

幸せの構造として、卵の黄卵と白卵が表現としてはわかりやすいです
黄卵が幸として、白卵が不幸とすると
生卵の状態でかき混ぜて
黄卵も白卵もぐちゃぐちゃに混ざります
幸も不幸も本質は同じです

幸に感謝することはできますが
不幸に感謝することは難しいです

不幸な事象にも感謝している人は
大きな幸せに巡り合うことになります

簡単に言ってますが実際
不幸に感謝することは難しいことです

物事に感謝するようになってきたら、様々な命の存在に感謝できるようになってきます
食べ物や助けてくれる人々、人間の体の胃のなかの微生物の働き
全ての存在に有り難いと思えるし、存在するには何らかの意味があると
考えれるようになります

夏にコバエの処理をしている僕はまだ感謝のステージが高次元にいけていないと
思います
コバエも生命なので、存在する以上、存在意義はあります

繰り返しですが、感謝は個人の権利です
他人に感謝を強制してはいけません
感謝するともっといいことがあるかもしれないという話でした

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